プロフィール

自分の写真
名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2015-12-01

宮ヶ瀬湖 晩秋


< 宮ヶ瀬湖(鳥居原) F10 >

10月上旬、気温が10℃を下回ったときには今年は紅葉が早いのではと思いました。しかし11月に入ったら小春日和が続いて、今日から12月だというのに家の近くのイチョウはまだ緑が残っています。いまのところ冬はゆっくりとした歩調で近づいているようです。

車で小1時間のところに神奈川県民の水瓶、宮ヶ瀬ダムがあります。そこへ半月ほど前に描きに行きました。平地と違って紅葉は進んでいましたが、天気が下り坂だったため輝くような紅葉は見れませんでした。それでも、描きだしたころは雲間から時々漏れる陽が湖面に照って、水の色といいコントラストを作っていました。
 

2015-11-01

稲刈りの頃・海老名

< 稲刈りの頃・海老名 F6 >

こんどの絵、海老名市街の南、小川が流れる田んぼが残っている辺りで描きました。8月、風の道を観察した近くです。いまは、刈り入れを待つばかりの田んぼや、もう刈り取りが終わって稲藁が三角に束ねてあったりでした。隙間から”稲孫(ひつじ)”の黄緑色が見えましたが、弱々しい色です。これももうすぐ枯れて見られなくなるのでしょう。こう考えると、身近な生活圏にも季節が流れているのに気づきます。清少納言流に言えば「いとおかし」でしょうか。それにしても川で釣りをしている人が多いのは高齢化と関係ありそう? そういえばスケッチしている私も同じですね。
 

2015-10-19

相模川に架かる「遺産」の橋

< 相模川・小倉橋 F10 >

「世界何とか遺産」は近頃よく話題になりますが、観光目的のキャッチフレーズになったり政治的な宣伝に利用されることがあったりと、本来の目的から外れて話題になるのは残念です。今回の相模川に架かる小倉橋はローカルな遺産(土木学会選奨土木遺産)ですから、騒ぎに巻き込まれることがない”平和”な遺産です。もちろん手前の4連アーチ橋が小倉橋です。その後ろにある相模川を一跨ぎする、ちょっと力ずくなのが新小倉橋で、遺産でもなんでもありません。描き始めたのは10時頃。ちょうど陽を浴びてソフトに輝いている姿は、どこか貴婦人のように優美で、おかげで絵の調子がすぐに決まりました。
 

2015-09-01

風、夏の記憶

< 夏の記憶 F10 >

去年の夏はヒマワリ畑を描きました。そのあと鼻水が止まらなくなり、ひょっとしてヒマワリ花粉のアレルギーではないかと疑ったことがありました。その代わりというわけではないですが、よく晴れた8月の午後、風が吹き渡る田んぼを見に行きました。今いる所に住み始めた頃は、最寄りの駅から見えるくらいのところまで田んぼがありました。街が大きくなったとはいえ簡単に見つかると思って出かけましたが、予想に反して結構遠くなっていました。

夏休みなると田舎に遊びに行くのが楽しみでした。ほんの三駅ほどでしたが汽車に乗れ、従兄弟たちと泳いだり魚釣りができたからです。井戸で冷やしたスイカを縁側にしゃがんで食べたのも昨日のようです。時間が止まったようなその時の光景の中に、いつも風が吹き通っています。
 

2015-08-01

もう一度、浦安・境川

< 浦安・境川沿い 油絵 P20 >

心頭滅却すれば、、、なかなかできません。描き始めて夢中になってくると少々の暑さだったら扇風機ほどの仕掛けで乗り越えられます。でもこの頃のように連日34℃を越えると矢張りエアコンに手が出てしまいます。ただ、部屋に充満する絵具や溶き油の匂いが気になります。今回は6月に載せた水彩画の油絵版です。友人からの催促(?)やアドバイスをもらい仕上がりました。前のは境川の水の色を強く意識して緑調にしたのですが、油絵では前方からの光を反す明るい水面にしました。

さて、自民、公明の賛成多数で衆議院を通過した安保法案。一方メディアの世論調査によると国民の支持は得られていない。どうも国会で民意が吹き消されているようで残念です。よその武力衝突に加担できてしまうのに、こんなねじれがあっていいんだろうかと思います。政府には謙虚さがないし、過半数を占めた国会で、この時ぞとばかりに横暴を振るわれるのは恐いことです。
 

2015-07-01

雨のおむかえ

< 雨のおむかえ デジタル (iPad Procreate) >

梅雨の季節だったか?それすら思い出せないほど昔の映像が幾度となくよみがえってきます。大きなクスノキがあって、つやつや光る枝葉の下を傘を持ったお母さんたちが迎えに来ていました。みな番傘だったと思います。用があったらしくわたしの母は来ていませんでした。しかしクラスの友だちのお母さんと一緒に帰れたのが嬉しかったことを憶えています。

さて、絵にしようとすると、記憶のイメージが大雑把で曖昧なことが分かります。ふわふわした形なんです。色や形よりもそのとき受けた気持ち(感情?)が残っているみたいです。そんなふうですから、こんど見える形にしたことで、その他のイメージがもう浮かんでこなくなるのではと気になっています。
 

2015-06-02

浦安を歩いて

< 浦安・境川  水彩 F4 >

5月最終日、浦安駅で初めて降りました。駅から南に歩いた所にある境川を挟むエリアが、かつて青べか物語の舞台になったところだと聞きました。たしかに、境川に沿って庚申塚の祠があったり、旧家の家屋が保存されていたりで、一昔前にも、この辺りに街があったことが窺えます。しかし それはごく一部のようで、入り組んだ路地に比較的新しい住宅が立て込んでいる印象でした。もっと海寄りにあるディズニーランドが開園して30年以上たつのですから、こういう変化は至極当然でしょう。

境川に架かる新中橋は、まだ街の雰囲気に溶け込めていない新しい橋です。一人の老人が近くのフェンスに両手を乗せ、じっと川面を眺めていました。邪魔をしないよう挨拶だけして横を通り過ぎました。反対側の歩道がこの橋をくぐるようになっていて、いい日陰を作っていました。今日のスケッチはそこからの風景にしよう。
 

2015-05-01

蒲郡、二様の風景

< 蒲郡にて F10 >

名古屋に行く途中、蒲郡に寄りました。土曜日でしたが観光客は少なく、竹島へ渡る橋の近くに人影を見る程度でした。淡い緑色のジャッケットを着た人が浜の方を眺めていたので話しかけると、2週間後に始まる潮干狩りの漁場を監視しているのだと分かりました。たしかに長い棒が何本も差してある一帯は、潮が引いて今でも潮干狩りが出来そうでした。せっかく訪れたのだからと竹島に渡り八百富神社から反対側に下り、島を半周して戻ってくると、もう潮が満ち始めてさっきの干潟は潜れていました。

天気は下り坂で、湿った風が海のほうから吹き上がってきました。やや霞んでいましたが、満開の桜の向こうにさっき歩いた竹島が湖面のように静かな海に浮かんで見えました。
  
< 蒲郡にて・夜 F10 >

3時間ほどしたら暗くなって竹島橋に明かりが一斉に灯り、視覚的には昼間より賑やかになりました。ふと、高校時代に学校の近くのお城へ夜桜を描きに行ったことを思い出しました。いま頃のような派手なライトアップはなくて、ずいぶん薄暗かったこと、帰ってからの続も 終いには手に負えなくなってしまったことなどです。再挑戦の今度は、まず昼間のスケッチをきちんと描いてからにしよう。 
 

2015-04-01

ジャスト・イン・タイム - デンドロビウム


< デンドロビウム 油絵 F6 >

花粉の時節、部屋の中でできるテーマをもらいました。去年の秋に株分けしてから部屋の中で育ててきたデンドロビウム、10日ほど前に咲いてくれました。花をつけた茎の横から黄緑色の新しい茎も伸びてきました。まだ細いですが、いつの日か同じように花を付けてくれるかと思うと楽しみです。季節を知らせる花ではないようですが、外はまだ限られた花しか見られないので、部屋の中から春が生まれたような感じです。
 

2015-03-15

ニコライ堂-雪の朝 (続)

< ニコライ堂・雪の朝 油彩 F6 >

ラジオの「きょうは何の日」でニコライ堂、正式な名前では東京復活大聖堂が1891年のきょう(3月8日)竣工したと言っていました。いつもなら聞き逃してしまうところでしたが、ちょうどこの絵に取り掛かっているときだったので気づきました。関東大震災で被災し、その後修復されたあとは空襲を免れ、今日で124年になるわけです。たぶん今ではこの界隈で一番古い建物になっているように思います。

この風景は聖橋の南東の袂、淡路坂の入り口辺りから南を望んだものです。歩道の向こうが本郷通りで交通量はけっこうありました。タクシーが通ると、こんな天気のせいか風景がパッと暖かくなるようでした。さてその雰囲気が少しは出たでしょうか、、
 

2015-03-01

ニコライ堂-雪の朝

< ニコライ堂-雪の朝  水彩 >

日増しに暖かくなって雪の時期はそろそろ終わりです。去年の大雪は大変でしたが、今年のように雪の予報が出ても実際は雨だったりというのも拍子抜けです。去年に懲りた気象庁の後遺症でしょうか、微妙なときは影響が大きいほうの予報を出す、分からないでもありません。

この朝もそうでした。御茶ノ水に出る予定があったので、ついでに雪のニコライ堂を見てみようと回り道をしました。生憎、到着した頃には雨になっていて、シャーベット状になった雪が歩道や植え込みの陰に少し残るだけでしたが歩道を歩く人達は寒そうでした。広重の”東海道五十三次・蒲原”のような景色をという期待は叶いませんでした。
 

2015-02-15

第2東名工事裏(続)


< 第2東名工事裏(海老名JCT)  油絵  P15 >

先月の水彩を油絵にしました。初めて現場を見たあと2度訪ねてみたのですが大規模工事といえども少しずつ進展していて、橋梁などは新しい部分が繋がり長くなってきました。今では絵のほうが取り残された感じです。友人に見せたら、海老名のどの辺りか、富士山は北西方向になるのか、と興味を持ってくれました。こんなふうに絵を見てちょっと気にかけてくれるのは嬉しいものです。すぐ横の相模川に架かる橋はまだ橋脚しか出来ていないので、全体が見えてくるにはもう少し時間が掛かりそうです。

東京タワーや東名高速道路、それに新幹線が建設されるのを身近に見てきた世代だからでしょう、次の時代に繋がるこうしたプロジェクトに特別な感慨が湧きます。

注: この辺りからは富士山はほぼ真西に見えます。
 

2015-01-15

第2東名工事裏

第2東名・海老名JCT工事裏 (水彩)

前回の”相模大堰”に巡りあったのは実はここへ来る途中でした。建設中の第2東名の海老名JCT(ジャンクション)の工事現場です。北から伸びて来る圏央道と第2東名をここでつなごうというわけです。 頭上にうねるように大きな弧を描く道路が何本かでき始めていました。来る度にクレーンやショベルカー、建設資材の場所や形は目まぐるしく変わっていましたが、道路のほうはあまり変わりません。それでも月単位で見ると着実に大きくなっていて、数年後には巨大なループが何本も出来ていることでしょう。 秦野から大山に伸びる稜線上から富士山が工事の行方をじっと見つめているようでした。