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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2015-08-01

もう一度、浦安・境川

< 浦安・境川沿い 油絵 P20 >

心頭滅却すれば、、、なかなかできません。描き始めて夢中になってくると少々の暑さだったら扇風機ほどの仕掛けで乗り越えられます。でもこの頃のように連日34℃を越えると矢張りエアコンに手が出てしまいます。ただ、部屋に充満する絵具や溶き油の匂いが気になります。今回は6月に載せた水彩画の油絵版です。友人からの催促(?)やアドバイスをもらい仕上がりました。前のは境川の水の色を強く意識して緑調にしたのですが、油絵では前方からの光を反す明るい水面にしました。

さて、自民、公明の賛成多数で衆議院を通過した安保法案。一方メディアの世論調査によると国民の支持は得られていない。どうも国会で民意が吹き消されているようで残念です。よその武力衝突に加担できてしまうのに、こんなねじれがあっていいんだろうかと思います。政府には謙虚さがないし、過半数を占めた国会で、この時ぞとばかりに横暴を振るわれるのは恐いことです。
 

3 件のコメント:

菩提樹 さんのコメント...

私は、名古屋の新堀川沿いの家で育ちました。川幅がこの倍くらいで、雰囲気が似ているので、昔を思い出します。
子どもの頃、静かな夜に風呂に入っているとき耳を澄ますと、4、5本下流にある中央線の鉄橋から、「ガタガタン、ゴトゴトン・・・・・」と列車特有の音が、川沿いに伝って聞こえてきました。
リンゴの産地信州信濃の長旅から、終点名古屋駅に向かう夜汽車かなと色々想像を逞しくしたものでした。
新堀川沿いに、社長が木曾方面出身の木材会社があり、父は終戦後一時その会社の小さな販売代理店を、建具屋と兼業でやっていました。
家の斜め前には、三重県尾鷲が本拠の山城屋材木店があり、遠路紀州方面から新堀川経由で運んできた材木を、人が担いで船から陸揚げする風景が見られました。時代の変化に伴い、間もなくトラック運送主体に移りました。
連想で思い浮かべるのは、宮本輝原作、小栗康平監督「泥の河」です。
原作の舞台は昭和30年大阪の土佐堀川だそうですが、映画の撮影は、川幅がもう少し広い名古屋市の中川運河で行われたとのこと。
子どもの頃見た風景が随所に出てくるので、昨日のことのように、懐かしい生活の風景が眼に蘇ります。
芦屋雁之助演ずる荷車の男が出てきますが、材木を乗せた馬車は毎日のように見かけました。道路の馬糞は日常茶飯事でした。
小栗康平1945年10月生、藤田弓子1945年9月生(ラジオ東京『赤胴鈴之助』に吉永小百合と共に3年間出演)、私1945年8月生、加賀まりこ1943年12月生(2歳上)で、生活環境・背景は違えど、皆同じ時代をここまで生きてきたのだと感慨深いものがあります。
おかしな方向に舵を切るボンボン首相とは、皆きっと違和感を感じていると思います。

おおこうち さんのコメント...

「泥の河」が中川運河で?!?! これはいいこと聞きました。早速ビデオを借りてこなくては。僕は小学校まで中川運河の終点、堀留っていうんでしょうか、あの倉庫群の近くで育ちました。ときどき笹島の子供達と喧嘩したり、大雨が降ると金魚が流れてきたり、そう楽しい記憶もありませんが「運河」はしっかりと生活の中に組み込まれてましたね▼水彩に比べて油の方がちょっと広角になったね。前が標準50mmとすれば、今度は28mm 程度の広角レンズ。そんな雰囲気です。僕の心の師匠「土門拳」の言葉だったかなぁ。「一歩前へ」が抜けきれずなかなかアップの写真から抜けきれません。最近「ええ歳こいてちょっと子供っぽ過ぎるんちゃう」という声が聞こえてくるような。もう少し引いた写真をとってみたいなぁ。。。とは思うのですが、なかなか実行できません。参考になります。

kazros さんのコメント...

新堀川や中川運河がでてくるとは少々驚いたけど、時間が濃密だったその頃を基にして見てもらえたんだと解釈しました。という私はお城からさほど遠くないところで育ったので堀川とは多少の縁がありました。今ではお目にかかれない黒くて臭いがする水でした。庄内川の水を流すという計画があるとか、あったとか聞いたけれど、実現したんでしょうかね。中川運河は尾頭橋から荒子へ行く市電の中から時々眺めたものです。子供の目には川幅はすごく広くて、川沿いに灰色の倉庫や工場の低い建物が続いていた記憶があります。小雨で煙っているときは子供心にものさびしさを感るような景色だったか。「泥の河」は、まずYoutubeを探してみようかしら。