プロフィール

自分の写真
名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2011-09-21

るーぷる仙台


  仙台に滞在して3日目、帰りの新幹線まで時間ができた。天気もいい。スケッチができる場所を探そうと青葉通に出るとすぐにバス停があった。運行地図を眺めていると”るーぷる仙台”というレトロな外観をしたバスがやって来たので、とりあえず乗ってみることにした。よく分からないままに乗ったのだが、これまたレトロな制服制帽の運転手が「土井晩翠が晩年住んでいた草堂跡が右に見えてきま~す。 残念ですが今日は工事があって休館になっていま~す」と愛想よくサービス満点のガイドをしてくれるので、どんなバスなのかすぐに分かった。「るーぷる」は"輪っか"のことか。観光名所を1時間ほどで巡るらしい。それに普通の市バスよりゆっくり走るし停留所が少ない。学生の頃過ごした街なのでガイドを聞きながら気楽に外を眺めていた。霊屋橋(おたまやばし)を渡って次の停留所、瑞鳳殿前(伊達政宗を祀る霊廟)で殆どの客が降りてしまった。軽くなったバスは青葉通りに戻り、広瀬川に架かる大橋を渡った。この辺りを歩いてみようと下車することにした。
  

大高森への道


  半年経っていたが、津波に襲われた土地を自分の目で確かめてみたいと思っていた。仙台から北東に約30Km、松島の少し先にある、松島湾に浮かぶ島々と外洋を一望できる海抜100m少々の大高森に出かけてみた。最近では8年前に訪れたことがある。最寄の駅は野蒜(のびる)だが、そこまでの仙石線(仙台-石巻)は全面復旧していないため、松島海岸駅から代行バスに乗った。一つ手前の東名(とうな)駅を過ぎると津波にさらわれた家の跡や、1階部分が壊され傾いた家が突然目に入ってきた。一駅で被害の風景ががらりと変わる。野蒜で下車すると、壊されうち捨てられたような駅舎や店舗の無残な姿があった。「またあの美しい野蒜をとりもどそう!!」子供が書いたと思われる幟が駅舎に貼ってあって、ここに住んでいた人たちの思いが胸に迫ってくる。不思議なことに鉄道の復旧工事は何も始まっていない。架線は垂れ下がったままで、捻じ曲がった鉄柱が夏草に埋まっていた。JRは廃線は考えていないと言っているが、復旧はいつになるのだろうか。

  海岸線に沿って大高森まで5Kmほど歩いた。新しい電柱が立てられている最中だった。傷つきながらも残った松並木の道路を ダンプカーが土煙を上げ ひっきりなしに瓦礫を集積場に運んでいた。海岸に出ると2、3mに積んだ土盛を砕石で覆った(仮?)防潮堤の工事が進んでいた。1時間半で大高森に着いた。西側の海に点在する松島は昔と変わらないように見えたが、北にはいまだに冠水している土地と廃墟になった町が広がっていた。〔スケッチは大高森から北(野蒜方向)を見る〕
 

2011-09-14

薄暮月

  諏訪に足をのばした帰り、電車が茅野を過ぎた辺りだったか、右の車窓から月が見えるのに気がついた。12日の満月まで間があるので、左が少し欠けた月だった。列車がカーブするたびに前に出たり後ろに引っ込んだりした。近くの丘に隠れたり遠くの山の上に登ったりもして、退屈な車中の時間を紛らわせてくれた。17時半を過ぎていたが空は明るさを残していた。薄っすらと白っぽい月だったが、澄んで乾いた空気のせいかよく見えた。南アルプスの山稜は赤紫に沈みはじめ、覆い被さってくるような威圧感を持ちながらゆっくりと後ろに動いていく。しばらくすると、前方にほんのり夕焼け色に染まった富士山が登場して雰囲気を盛り上げてくれた。ドラマでいうと、そろそろクライマックスといった感じだ。小淵沢で列車は止まった。さっきの光景をスチル写真で見れるかと期待したが、残念ながら車窓からは近くの建物ばかりが見え、さっきまでの車窓ドラマは小休止といったところだった。(スケッチは時間を少し進めて満月にしました)



 

高島城


  車から諏訪湖と街を眺めながら通り過ぎたことはあったが、街に降り立ったのは初めてだ。上諏訪駅から湖のある南西に向かって歩きだした。城が近くにあると聞いていたがどこにもそれらしい高い建物は見えない。きちんと調べてくるべきだったかなと思いながらケヤキ並木の落ち着いた商店街を歩いた。平日のせいか人影はまばらだった。やっとすれ違った地元の人らしい女性に訊ねてみた。「この道に沿ってすぐですよ」。少し安心したせいかお腹が空いてきた。途中、小さな橋を渡ったところに丸高味噌・醤油と書いた看板を出した店があったので中に入ると、「味噌の食事」ができるようになっていた。といっても味噌はタレや味噌汁で味わうだけで、ちゃんとメインは別にある。注文したのはヒレカツ定食、タレはもちろん丸高味噌だ。

  食事の後、さらに先に歩くと、突然といった感じで、右手にお城が現れた。三層の天守閣ということもあって威圧感は少しもなく、親しみのある感じがする城だ。今のは41年前に再建されたものだそうだが、これが徳川270年を通しこの地を治めた諏訪氏の雰囲気なのかもしれないと思った。冠木橋(かぶきばし)を渡って本丸内に入ると山水の庭園があり、木々が涼しそうな日陰を落としていた。今日はちょっと楽をして木陰のスケッチをしてみよう。