プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2011-10-26

秋色裏磐梯

 秋色裏磐梯 (弥六沼からの磐梯山) [油彩 F6]

  会津で好きな場所の一つは裏磐梯です。湖水と山と温泉、保養地の3要素があるし、静かでこじんまりとしたところが気に入っている。それに季節がはっきりとしているところもいい。1年が季節という輪郭でくっきりと縁取られているといえる。遅めに来る春は水芭蕉の花が知らせてくれる。夏は、磐梯山の荒削りな山肌の上に広がる青空を湖面に映して明るく輝く。秋は、一時錦の色を運んできてくれるが足早に来て去ってしまう。その後にやってくる冬は静かにじっくりと居座る。

  震災や原発事故以来、東北や福島へのエールをあちこちで目にする。被災した人々が少しでも励まされることを願います。また直接に被災しなくても、いわゆる風評による被害を受けて痛手を被っている人たちの数は公表はされていないが、広範囲なだけに相当な数になるのではないだろうか。今度、会津を回ってみて見て、みんなが観光地に出かけたり生産物を買ってあげることが一番のサポートになるのではないかと思った。初めて高速道路が無料化された時、地方にそれなりの経済効果があったことが実証されたはずだ。東日本に限定するとしても、止めてしまった無料化を期限を限ってでも再開したらどうだろうか。

2011-10-18

喜びのとき


  喜多方を訪れて感じるのは、風景にそれぞれの季節の顔が見えること。平地のほとんどで稲作が行われているので田圃の様子が季節の中心になっていると思う。空気がまだひんやりとして、晴れれば遠くに残雪をいただいた山が望める田植え時期も好きだが、何といっても稲刈りの時期が最高だ。街の西に南北にのびる丘陵があって、それを背に東を見ると雄国の峰や磐梯山に抱かれるように喜多方盆地(北会津盆地)の田圃が広がる。

  10月はじめ、雨が上がるのを見計らい出かけてみた。西風が強かったが、田圃のところどこで稲刈りの作業が行われていた。半分ほどの田圃は既に刈り取りが終わっていて、真新しい稲株に陽が当たり風景全体が明るく輝いて見えた。夏の田圃とは違って食欲がそそられるような暖かな色だ。軽トラックがあぜ道に止まっていて、コンバインが効率よく稲を刈っていく。遠くから軽く会釈を交わしただけで表情は分からなかったが、一年で一番楽しい時期なんだろうなと眺めた。

  福島の刈り入れを迎えた稲作農家は、自分たちが作った米にどれくらいの放射性物質が含まれているのか気を揉んでいたと思う。政府がサンプリング検査の結果を踏まえ出荷を認めたことで、まずは胸をなで下ろしたことだろう。しかし、どこかに不安が陰のように残り続ける。不安が現実にならなければと願う一方、不安を生み出した原発を続ける理由はないように思う。
 

2011-10-01

堰と水車

堰のある風景(アウフ・アン・デル・ペグニッツ、ドイツ)  [油彩 P15]

1年前、ニュルンベルクに1月ほど滞在していたとき、車で20分ほど東に走ってアウフ・アン・デル・ペグニッツ(Auf an der Pegnitz) という小さな町を訪れたことがある。「ペグニッツ川に接するアウフ」といった意味で、日本でいうなら、大和郡山市を「大和(国)にある郡山」と称するようなものかなと思った。「川に接する」という言い回しが町の名前に組み込まれているのは面白い。旧市街は30分も歩けば全部見れてしまうサイズながら、細長いマルクト広場に沿った家並みや、曲がりくねった裏道の地味な石造りの家々に趣があり見飽きない。

数日前に痛い目に遭ったイラクサに気をつけながら細道を通り抜け街の南側に出た。川幅が広くなったペグニッツ川の向こうに旧市街のオレンジ色をした家並が広がっていて、どこかのテーマパークのように見えた。川には"く"の字形の堰があった。しばらく眺めていていて、この堰が水車小屋へ水を引くためのものであることに気がついた。今でも使われているのだろうか、流木避けの杭などが整然としている。子供の頃見た日本の水車と比べると、ちょっと大仕掛けなところがドイツらしいのかなと思った。