5月の終わりに数日滞在した喜多方でも、放射性セシウムに汚染された肉牛が出荷されていたそうだ。野外に置かれていた稲わらを原発事故後に餌として与えていたためという。福島第1原発の水素爆発で放射性物質が大飛散したときから分かっていたことだし、打つ手もあったのに徹底されてこなかったのにはがっかりする。農水大臣が厳しい表情で謝っただけで済むんだろうか。
3月下旬、東京近辺の浄水場で基準を超える放射性物質が検出され大騒ぎになったし、5月には群馬県の牧草から、その後も神奈川県の足柄茶からも見つかり出荷できなくなった。そして今回の汚染肉牛だ。確実に日本に住むわれわれの中に入り込んでいるような気がしてならない。
それにしても対応がいつも後手後手で、もぐら叩きをしてるようだ。それほどわれわれは原発(放射性物質)を楽観的に考えていたのか、それとも本当に打つ手がないような際どい技術を目をつむったまま使っていたのだろうか。今日何事もなければ明日もまた何事もないだろうという気持ちでいたのは確かだが、それを助長させていたのは半世紀にわたる国の政策であったのも確かだと思う。