プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2012-12-15

朝一番のお客さん

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  カレンダーを見ると2012年も残り2週間ですが、なかなか実感がわきません。それに早々と寒波が来て、ここでも5日連続の氷点下でした。なんだか振り回されながらどんどん時間が過ぎていくようです。
 
  ドイツに住む娘が当地の今の様子を知らせてくれました。日中でも氷点下の厳しい寒さが続いていること。街の真ん中にある広場で恒例のクリスマスマーケットが始まったことなどが書いてありました。面白いと思ったのは、広場を埋め尽くすように並んだ出店(でみせ)の出展には、けっこう厳しい基準があって、それを満たさないと許可が出ないのだそうです。一時的な店舗にしては、どれも綺麗で、楽しくて、整然と並んでいる理由が分かった気がしました。そんな出店のことを考えながら、二人の孫が手をつないで店で買い物をする姿を想像してみました。

  明日は衆議院選挙の投票日。どの党が政権をとったとしても、津波や原発事故からの復旧や復興が突然前進するとは思えませんが、少なくとも、あるかもしれない政権交代が、その進捗にブレーキをかけないで欲しいと思います。
 

2012-12-04

横浜税関


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  いつか描きたいと心に決めていたのが、今日の絵、横浜税関の建物(右)です。ニックネームは「クイーンの塔」。横浜らしくて好きです。これを描くにはどうしても外したい建物があります。たぶんこの界隈で一番高くて大きいビル、殺風景な県警本部で、悪いことにすぐ隣にあるのです。昔は港に面した倉庫群があった場所のはずですが、いまはそびえるように立っています。

  見つけたスポットは「象の鼻」と呼ばれる防波堤の先端。ここからなら県警本部はアングルの外にできます。それに静かです。ときおり観光船が汽笛を鳴らしながら出入りするのも、この辺りが横浜港発祥の地だと思うと、趣を感じさせます。  

  いよいよ衆議院選挙の始まり。党名も覚えられないほどの政党の数、ましてその主張となるとこんがらがるばかりです。十人十色といいますが、暖色、寒色、せいぜい中間色ぐらいにまとまって欲しいと思います。それとも、わずかな色の違いを主張するほうが議員になりやすいのかも。テレビ・コマーシャルでしばしば耳にする"新発売"を思い出しました。また、劣勢の党に見切りをつけるような人たち、選挙を就職活動と考えているのでしょう。
  

2012-11-21

横浜・大江橋界隈

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  最近、横浜に出ることが多く、用が終わると桜木町駅から関内辺りをぶらぶら歩いています。今日は大岡川を渡った歩道橋の下から根岸線の鉄橋を描くことにしました。その手前にある橋が大江橋。何の変哲もない橋ですが、横浜の歴史をみると、明治の頃には橋のたもとにガス灯が設置されていたそうです。ちなみにその頃の横浜駅は現在の桜木町駅にありました。
 
  大岡川は、この地点からすぐの右後方で横浜港に流れ込んでいます。その河口の先に、みなとみらい地区に立つ新しいビル群が白く輝いて見えます。残念ながらまだそういう新しい街並みに共感が湧かず、少し前の横浜の雰囲気が残るこの辺りが気に入っています。

  スケッチに気を取られていたようで顔を上げると一隻のボートがいなくなっていました。早めに描いておいてよかった。仕上がる頃には近くに係留されていたタグボートが紫色の煙を上げて出航の準備です。流れてくる重油の臭いに催促され、切り上げることにしました。
  

2012-11-11

カラマツ黄葉

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  カラマツの黄葉を見に蓼科に行くことになりました。予定を一日ずらした甲斐があって当日は穏やかな晴天になりました。沿道の紅葉を眺めながら、空いた高速道路を諏訪目指して走ります。八ヶ岳の緩やかな裾野は赤褐色の帯を巻いたよう。頂きの連なりは雲に隠れていて、山との対面は明日に期待することにしました。

  次の朝、カラマツの林を抜けて蓼科湖まで散歩。踏みしめる枯葉の乾いた音、黄金色に輝くカラマツの落葉、いつまでも歩いていたい心地よさでした。流れ雲が過ぎて日差しが戻ると、辺り一面ぱーっと明るくなります。観光シーズンが過ぎた湖周辺は、ガラーンと静まりかえっていました。湖畔を半分ほど回ったところにあったミニ遊園地。近づくとスピーカーから急に音楽が流れだしました。どこかで見ていた係員がお客だと思ったみたいです。賑やかな音でしたが、人がいないとどこか寂しくも聞こえました。
   

2012-10-25

相模野を走るSL



  もうこういう蒸気機関車は走っていません。いま走らせでもしたら、沿線住民からうるさいとか洗濯物が汚れると苦情殺到でしょう。しかし昭和初期にはここ相模野の原っぱを走っていたことを知りました。横浜に出るとき使う私鉄です。八尾に住む鉄道マニアの友人が、蒸気機関車が展示してある車両センターは近くではないかと教えてくれたのです。日曜日の昼時、散歩がてら見に行って来ました。

  事前の連絡なしでも快く中にはいれ見ることができました。たまたま通りかかった社員の方が親切に説明をしてくれました。すでに友だちから聞いていたことでしたが、知っていますとも言えなくなって、ナマの声を拝聴することになりました。それにしても気持ちの良い対応でした。家に帰ってから、あの社員の方は私達を見て「子供の頃に乗った機関車を懐かしんで見学に来たんだ」と思ったかもしれない、そんな気がしてきました。昭和24年まで走っていたというから、ぎりぎりその可能性はありそうです。

  客車に乗ってみました。室内は年季が入った木製で飴色に光っていて、窓を背にした長椅子の青さとよくマッチしていました。頭の中ではいつの間にか列車が動き始め、さっそうと相模野を走り抜けている姿が浮かんできました。
  

2012-10-04

遅い彼岸花


  数年前から庭の片隅で彼岸花が咲くようになった。たぶん植木を入れた時に株がまじっていたのでしょう。それが今年はお彼岸を過ぎても花茎を伸ばして来ない。枯れてしまったのかなと諦めかけていたら、9月も残り少なくなったころ、ようやく薄黄緑色の茎を伸ばしはじめた。夏の少雨と暑さが遅らせたのでしょうか。

  赤い蕾に混じって一輪が開いたのを合図に、車で20分ほど南に走り(この辺りは藤沢市と茅ヶ崎市の境いを流れる)、小出川沿いの彼岸花群生地に行ってみた。前日、台風の接近で強風が吹いたはずなのに倒れている花はない。燃えるような色にふさわしく案外強いのかもしれない。

  川にそって歩いてみた。両岸に咲く彼岸花の群生は狂おしいほどの激しさがある。のどかな里山の佇まいが残っているこの辺りでも、所々に産廃業者の作業場とおもわれる不調和でパッチワークのような囲いがあったり、鋼矢板(こうやいた)で覆われた護岸が続くと、腰を下ろしてスケッチしようという気持ちにならない。やっと見つけたスポットも、数分おきに雀脅しの爆発音が轟いて、居心地は今一でした。
 

2012-07-30

ゴーヤの季節

西日を除けるゴーヤが暑さのなか頑張っています。5月の連休のころ植えた3本の苗がいまでは窓全体を覆って、35℃近い暑さを歓迎しているようにいっせいに実をつけています。先日などは一度に6本の実を収穫しました。その余波で食卓にゴーヤのメニューがふえています。あの苦味が好きな人も多いかもしれませんが、僕は今一好きになれない。それでも自家栽培ということで多少の欲目があって 少しは我慢できています。それにしてもゴーヤの実はほんとうに個性的。イボイボに覆われた表面は何か目的でもあるんでしょうか。つい、ここまでしなくてもと勝手ながら思ってしまいます。いつのころからか、ゴーヤの実を見ると、アルチンボルドの絵を思い出してしまいます。肖像画なんですが、近寄ると鼻がキュウリ、耳たぶにニンニク、顎がイチジクや梨でできているあの絵です。気を呑まれる絵ですが、やはりグロテスクでもあります。そう、ゴーヤのイボイボも少々グロテスクなんですね。さて、夕飯には何がでるんだろうか、、、



スケッチは、五稜郭の土塁に上り、城内にある箱館奉行所を描いたものです。観光客が三々五々訪れ、緩やかな時間が流れていました。あとから奉行所内を見学しました。当時(1868年)の古写真や発掘調査のデータをもとに、つい2年前に忠実に復元されたそうです。真新しい畳や木の匂いがまだ残っていて、150年前を偲ぶにはちょっと新し過ぎたかな。

2012-07-16

摩周丸と再会

函館の風景 2012    [油彩 P15]

前後しますが、今度のは初日の函館です。

ネット予約の確認を怠ったため予定したホテルに泊まれず五稜郭近くのホテルになってしまいました。それでも市電に乗れば15分ほどで函館駅前に出られました。初めて歩く街でスケッチのポイント、すなわち何かを感じて、描くエネルギーがもらえるような風景に出会うのは、ときに時間のかかるものです。難なく見つけられる幸運に恵まれることもあるし、半日ただ歩いて終わる時もあります。観光客になってブラブラ街歩きするのも楽しいですが。

まず函館駅まで出てその辺を歩いてみようと駅の横を真っすぐ海側に歩いてみました。高架になった道路の下を抜けるとすぐ岸壁に出た。正面が函館湾、斜め左に青函連絡船の記念館になっている摩周丸が係留されていて、その背後に緩やかに傾斜した函館山が広がっていました。20代の頃に幾度も利用した連絡船。乗った船の名前まで憶えていませんがこの船にも何回か乗船したのだろうと思うと、40年前の時間が突然目の前に現れたような気がしました。最初の一枚はここにしよう。

駅の反対側で開かれている朝市は賑わっていましたが、この辺りは海鳥の鳴き声が時々するだけで静かで、ここならゆっくり描けそうです。そんなわけで出だしのポイント選びはめずらしくスムーズにいきました。そう、スケッチのポイントは、風景だけで決まるのではなく自分の感性の動きに左右されるものですから、、、

2012-06-25

函館・元町公園から


電車に乗って函館に行ってきました。函館の街を歩くのは初めてです。青函連絡船があったずいぶん前は、大抵深夜か早朝に函館に着いたので、いつも素通りでした。それが飛行機の時代になって、余計に「遠い街」になっていました。今度は、そんな函館を見たかったことと、青函トンネルを通過してみたかったこと、それに数日でも梅雨空から避難したかったことなどがあって決めた旅です。

昨日は、駅前から岸壁に出たところでスケッチをし、午後は観光スポットを歩き回りました。市電に乗ってローカルな雰囲気を味わえましたが、ブラブラ歩いても回れるサイズのようです。函館山からの夜景見物は一人旅には合わないだろうと(勝手に)考え、昼間に上ってみました。地図を持っていなくても、展望台から市街を一望すると大まかな位置は分かります。ただ、そのあと高田屋嘉兵衛像を目当てに歩きましたが見つからず、たまたま石油を配達していた親切な小父さんに訊くことになってしまいました。途中、大阪のHさんが描いた「茶坊旧茶屋亭」の建物に遭遇するという副産物もありましたが、、、

北上する台風4号の影響で、今日は冷たい東からの風が強く、函館山はすっぽり雲の中でした。午前中は五稜郭や復元された箱館奉行所を見て回りました。3枚目のスケッチを描きたかったので、午後は市電を使って元町公園に出ました。停留所からの坂道の途中、明治後期から昭和初期のガッチリした民家が並んでいて、栄えた往時の雰囲気が偲ばれます。それにしても道幅が広くて、建物全体がすっきり見渡せるのは北海道らしくて気に入りました。公園は人影がまばらで、餌を探すカラスが暗い雲から舞い降りるのは少々わびしかったかな。2時間ばかりでスケッチを仕上げ片付けていると、体が冷えきっていたのに気づきました。あぁ、これが6月の函館なんだ、とあらためて思うとともに、旅に出たときなどに感じるある種の新鮮さを感じました。さぁ、坂を下って暖かい食べ物にありつこうと歩き始めると、着いたばかりの観光バスから降りてきた大勢の人たちの賑やかな話し声が聞こえてきました。

2012-06-01

一輪の花



小さくても池が欲しかった。工事も費用も大変だということが分かって、手っ取り早く楽しめる睡蓮鉢を置いてみた。一年たって待望の一輪が咲いた。 手入れは何一つしなかったのに、淡いピンクの花が気持ちを癒してくれる。
 
マスコミのせいが多少あるとしても、わたしから見ると東電はえらく非常識な会社だ。原発が止まり火力発電に切り替えたため燃料費がかさみ、大口は17%の値上げをした。家庭用では7月-10%の値上げ申請中だ。今年はじめ、社長は「値上げは、、、権利だ」と発言したそうだが、一度にこれだけの値上げをすると多くの企業には死活問題だろう。地域独占企業なのにこんなの許されるの?と思ってしまった。神様が聞いたら、こんな急激に値上げをしたら社会にどんな悪影響を与えるか、頭を冷やして出直して来いと言うだろう。経産省は、家庭用の値上げ実施は8月か9月というシナリオを書いているようだが、言いなりになるのは止めさせたい。さて、枝野経産相の政治判断は官僚のシナリオ通りになってしまうのだろうか。

2012-04-15

桜の咲くころ


  桜が咲くと他の時期より天候が気になる。花見に行かなくても気になる。今日は風が強くなるだろうか。雨は大丈夫かと。1週間もすれば散ることが分かっていても気になる。美しいものを少しでも長く残したいという心優しい気持ちになるのかもしれない。
 
  久しぶりに滞在している孫たちと車で40分くらいのところにある「こどもの国」に出かけた。比較的近くにあるのに初めてだ。晴天で花見の時期とあって多少の混雑は覚悟して出かけたのだが、学校が始まったばかりの月曜日とあって、広大な敷地の園内はガランとしていた。そのかわり満開を少し過ぎた桜が、時折吹く風に花びらを散らして華やかさを演出していた。今風の遊園地といえばジェットコースターや観覧車を思い浮かべるけれど、ここにはそういう電動の大型遊具はなくて、ただ広い。騒音もない。ローラー滑り台に遊び疲れると、綺麗に整った遊歩道をしばらく歩いてボート乗り場に辿り着くという具合だ。こういう贅沢さもあるのだと気づかされる。海外暮らしをしている"日本好き"の娘が「いまどこにいるのか分からなくなる」と洩らした言葉が耳に残った。

2012-03-13

柴又、帝釈天


  柴又の帝釈天、一度出かけてみようと思っていた。境内では丁度節分の豆まきが行われるところだった。舞台には裃を着けた大勢の年男や年女、それに場所がら寅さんに扮した人まで登場した。鬼払いの寸劇が終わってから豆まきになり、飛んできた袋を3個ばかりキャッチできた。これで今年は鬼が払えた気分になった。この日を狙ったわけではなかったが、意外なことが起こる日々の面白さを感じた。

  電柱がないすっきりした参道は、御影石(だろうか)で舗装されていて、「男はつらいよ」の雰囲気より洗練されて見える。テレビドラマなどの舞台になったりして短期的に観光地化するところがあるが、ここはもう風格があると思った。最初に紹介され国民的映画になってからもう40年経つのだからそういうものか。さて草だんごを食べてから帰るとしよう。