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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2015-03-15

ニコライ堂-雪の朝 (続)

< ニコライ堂・雪の朝 油彩 F6 >

ラジオの「きょうは何の日」でニコライ堂、正式な名前では東京復活大聖堂が1891年のきょう(3月8日)竣工したと言っていました。いつもなら聞き逃してしまうところでしたが、ちょうどこの絵に取り掛かっているときだったので気づきました。関東大震災で被災し、その後修復されたあとは空襲を免れ、今日で124年になるわけです。たぶん今ではこの界隈で一番古い建物になっているように思います。

この風景は聖橋の南東の袂、淡路坂の入り口辺りから南を望んだものです。歩道の向こうが本郷通りで交通量はけっこうありました。タクシーが通ると、こんな天気のせいか風景がパッと暖かくなるようでした。さてその雰囲気が少しは出たでしょうか、、
 

7 件のコメント:

おおこうち さんのコメント...

油絵の方がいいねぇ。絵が落ち着いているように見える。もともとそういうものなのか、サイズの違いもあるんだろうか。ひょっとしたら油絵の下絵としての水彩スケッチという気持ちがどこかにあるせいだろうか。勝手な妄想でした。

kazros さんのコメント...

どれも心当たりがあるけど、一番は”時間”だと思ってる。色付けは別として、あの日は10分が限度だったからね。▼あれから随分暖かくなったけど今度は花粉が気になるね。

おおこうち さんのコメント...

今朝夢を見た。昨日深夜軽い気持ちでコメントしたけど、やっぱり気になっていたんだよね。芸術論争だった。油vs水彩とくれば、直接描画vs版画、最終的にはリアルな絵vsデジタル絵画。つまり、天につばすれば自分に返るというやつだね▼画面いっぱいに無理やり拡大するとやっと水彩のデリケートな感じがでてくる。クリックしたら絵が大きくなるけど、うまく画面いっぱいに大きくする方法はないのかなぁ。水彩が不利なのは見る絵の大きさかも。僕はマック。

kazros さんのコメント...

”直接描画vs版画”について思い出したこと。高木凛著「最後の版元」を借りて読んだらこんなのがあった。『版画は版元が企画し、注文を受けた絵師が下絵を描き、その下絵を彫師、摺師の手が加わり完成する。肉筆で描かれた線が、版画となることによって完成された線に昇華する。それが版画固有の美である。』渡邊庄三郎はそんな風に新版画をとらえていたよう。▼庄三郎的に言わせてもらうなら、この頃は水彩が下絵、油彩が版画ということだね。▼イメージサイズはVGA。水彩のスケッチブックはF4と小さいので、大きいイメージにすると粗が目立ってしまう。

おおこうち さんのコメント...

なるほど「完成された線に昇華」か。デジタル絵画はなんていう言い訳を考えよう...(^^; ▼モニターの解像度に関係すると思うのだけど、僕のモニターだと21 x 25cm 程度。ハガキ大だね。小さくて勿体無い感じ。

菩提樹 さんのコメント...

東京明和39会員です。
5月末、愚妻と神田駿河台の、「文人の宿」ともなっており、作家の定宿としても知られる山の上ホテルに泊まり、火事の後再建された「かんだやぶそば」で夕食をとり、帰りにニコライ堂の写真を何枚か撮ったのですが、操作ミスで誤って消去してしまいました。
もっとも旧式カメラの為感度が悪くて、フラッシュ発光させても夜景はほとんど写らないので、大した写真は撮れていなかったとは思いますが。

ギリシャ正教(日本ハリストス正教会)は、かねがね文化史的に色々興味が尽きない宗教だと思っていました。
昔から日本のキリスト教徒の数は対人口比約1%といわれているそうですが、日本ハリストス正教会信徒は、その内のまた何パーセントに当たるわけですね。
キリスト教が入ってきた時には上流階級の人たちが関心を持ち、知識人や富裕層で感化された人たちが多いという歴史もあって一般に上流階級の人たちが入信しているそうですね。

たまたま分かったことですが、娘婿の父方の御祖母様の実家は岡崎市で、明治初期に、函館で発足した日本ハリストス正教会が豊橋で布教を開始した時に御祖母様の祖父だか父だかが洗礼を受け、信徒になったそうです。
そのため御祖母様のご先祖の歴史的、文化史的背景に、とても興味を持ちました。
その経緯など、御存命中に直接、色々お話を伺いたかったのですが、一昨年亡くなられ、その機会を逸し残念です。

ニコライ堂は、今、朝日新聞に連載中の復刻版、夏目漱石『それから』(1909年)の一節にも登場しています(二の三)。
リトアニア領事館領事代理としてユダヤ人にビザを発行したことで知られる杉原千畝(聖名:パーウェル)は正教徒で、ニコライ堂敷地内にあったニコライ学院で教鞭をとったことがあるとのこと。
また、『ニコライの鐘』、「長崎の鐘」、「イヨマンテの夜」、「君の名は」等を作曲した古関裕而も深い関係があるようですね。

私は、大学時代に半ば趣味で独語と仏語を選択でとりましたが、(仏語と同じ講義時間帯だったので)露語をとることなく卒業してしまったので、会社に入ってから、毎週日曜日に半年ほど、当時代々木にあった「日ソ学院」に通いました。
御茶ノ水の「ニコライ学院」も選択肢にありましたが、会社の寮から少し遠かったので近い方にしました。
「ニコライ学院」の方にしておけば、御祖母様と何か関わりが持てたかもしれません。
こんなことをしていたので、本業の方がお留守になってしまいました。

kazros さんのコメント...

菩提樹さん、絵を覗いてくださってありがとう。ニコライ堂にまつわる思い出を書いてもらえ、絵が少しはお役に立ったみたい。10月4日に集まりがあるそうなのでお話しできたらいいですね。