プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2024-12-01

次世代の養分

 
< カトレア 油 F4 2024-11-29 >

最低気温が10℃を下回るころ数鉢ある蘭を室内に取り込んでいます。今年は2週間ぐらい遅くなりました。室内の環境が合うようで カトレアの蕾がみるみる膨らみ10日目に綺麗に咲いてくれました。その2日後には甘い優しい香りを室内に放って、一足飛びに春の雰囲気を演出してくれています。

ここ2、3年、苔を入れ替えなかったので、古い茎がいくつも折り重なるように残っています。まだ葉を残しているものや、すでに切り落とされ根元しか残っていないものなど、何世代にも引き継いできた姿が見えてきました。一本一本のカトレアの生涯に思いを馳せると、いま花をつけた茎は、別な新しい芽を生み、さらに 次の世代の養分になろうとしているようです。

2024-11-01

赤色のドット

< 「ガザに想う」 デジタル 2024-10-20 >

ハマスとイスラエルの戦闘が始まって1年、破壊された町を赤色のドットで示したガザの地図を見てきました。赤色が命を落としたり負傷した人たちのように見え、そして赤色は時間とともに広がってきました。パレスチナの人たちは今どこに住んでどんな生活をしているのだろうか、食料や医療の支援は届いているのだろうか。逃げ場のない弱い人々が攻撃に巻き込まれる不条理を思います。

イスラエルはハマスを狙った攻撃だと説明していますが、それだけでは実際に起きている人道上の惨状をすこしも理解できません。むしろ将来の憎しみを益々膨らませているように思えてなりません。戦闘はいまや隣国レバノンにも広がっています。

2024-10-01

草原のシュールな景色

< 「テレルジにて」 油 F8 2024-09-02 >

9月初め、前から気になっていた国、モンゴルを体験することができました。暑さが続く日本からなので、ゲル(移動式住宅)でキャンプするテレルジの気温、5~20℃に合う衣服を準備するのが厄介でした。悩んだあげく「数日ぐらい 何とかなる」になってしまいましたが。結局 現地ではゲルの薪ストーブに助けられましたし、晴れた夜は ひときわ冷え込むことが身に染みて分かりました。

スケッチは乗馬中に目にした光景です。ゲルに戻ってすぐスケッチブックに定着し、後から油絵に描き直しました。近くに住宅などない草原で車椅子の人を見かけるとは全く予想外でした。ここまでどうやって来たのだろうか。つい日本にいる感覚で見てしまいました。視線の先の真っ青な空と黄土色の岩山が シュールな感じがして 興味を惹かれました。遠くに まだらに刈り取られたような牧草地が見え、もう冬支度が始まっているみたいでした。

2024-09-01

頭に地図を描く

< 広瀬川・大橋 油 M10 2024-08-21 >

額の汗を拭きながら仙台駅近くから大橋の袂まで歩いてきました。涼し気な木陰に誘われて西公園に下りると、一昨日 立ち寄った絵画展でお目にかかった方に偶然お会いしました。スケッチに来たそうで ちょっと話ができました。ちょうど400年前、ポルトガル人神父と日本人キリシタン8人が殉教した碑が近くにありました。

蛇行した広瀬川が市街地を流れているせいか橋が多いようです。その中で大橋が一番気に入っています。美しいアーチ橋で 桁もゆるく湾曲していて、その先の大手門の雰囲気に合うからです。川べりに下りると、伊達政宗の霊屋(おたまや)、瑞宝殿がある丘が橋脚の間に見えました。あの手前が評定河原橋、その先に霊屋橋や大学、そして右には八木山か、と頭の中に地図を描いてみると 仙台にいる実感が更に濃くなりました。

※ 2011年9月のブログ「るーぷる仙台」のスケッチも同じ大橋です。

2024-08-01

もし電気が止まったら

< 木陰の小休止 デジタル水彩 2024-07-04 >

梅雨明宣言が出て これから暑さのピーク。梅雨の間もよく晴れて35℃を超える日があり、梅雨空が暑さを和らげるのがよく分かりました。日本近海では海水温が2℃以上高くなっているところがあるそうで、この先どんな夏になるか気がかりです。(2024-07-18)

熱中症のニュースは毎日耳にします。そうならないよう心掛けていますが、猛暑はどうすることもできません。仕事でフロリダにいた頃、家のエアコンが故障でダウン。復旧するまでの数日間の なんと長かったこと。もし広域で長時間停電になったら恐ろしい限りです。

いつもの散歩中に 木陰で休んでいる老人に会いました。草取り中の小休止だそうで、自然に逆らわない涼み方が気に入りました。街角のミストより効果がありそう。ひとこと「やぶ蚊が多くてねぇ」とこぼしていましたが。

2024-07-01

一筆書きの散歩

< アジサイの坂道 F6 油 2024-06-20 >

梅雨入りの発表はまだなのに アジサイの花の色が褪せ始めていました。少し早めに咲き出したのに梅雨入りが遅くなったからでしょうか。少し前まで五月晴れの空にアジサイが映えてきれいでした。(※ 6月21日にやっと梅雨入り)

どうでも良いことですが 散歩コースは 頭の体操を兼ねて一筆書きを心掛けています。しかし暑くなるとその方針をつい曲げたくなります。できるだけ木陰の同じ道を選んで歩きたいからです。今度のスケッチの坂道もそんな場所です。坂道の中ほどにある公園はバラに続いてアジサイもきれいに咲きます。

一筆書きの定義は「同じ線を通らない」だったと思いますが、夏の散歩に限って「同じ道でも逆向なら1回だけアリ」、と気楽に定義を緩めて方針を保とうとしています。

2024-06-01

よみがえった漁港

 < 相馬の漁港 油彩 F6 2024-04-27 >

久しぶりに長距離を運転して 夕方 相馬に着きました。疲れたせいでよく眠れました。相馬は 学生時代に集まりがあって来たことがあります。半世紀以上も昔のことだし、東日本大震災では大きな津波にも襲われています。初めて来たのと同じ感覚でした。

朝、宿から坂道をぶらぶら下って港に出ました。土曜でしたが人影はなく、寂しいほど静かでした。干潮になっているようで湾内から外洋に早い潮流が見えました。海からひんやりした湿った空気が流れてきて、やっと相馬の漁港に来ていることを実感できました。どんな漁をする船か分かりませんが、岸壁に係留された何隻もの船体とフェンダーが、白と黄に輝いていました。物揚場のコンクリートも 昨日出来上がったばかりのような白さで、若々しい漁港によみがえったようでした。

2024-05-01

海軍道路の老桜

< 「老桜の並木」 デジタル 2024-04-07 >

このあたりは平年と比べ  2月は暖かく 3月は寒くなった。そして桜の開花は平年より1週間ほど遅れ 4月に入ってしまった。満開の桜の悠然とした姿はいつもと変わりませんが、桜にすれば 気温が順調でなかったのは けっこう辛かったのかもしれない、とつい同情してしまいます。

ふと思い立ち横浜市 西部にある、通称「海軍道路」沿いの桜を見に出かけました。戦前、横須賀海軍資材集結所があり、引込線とともに造られた道路だそうです。南北に真っ直ぐ延びる2.5kmほどの桜並木は すでに老木化していて、一部が伐採され切り株になったものも多くありました。時の流れでしょう。蘖(ひこばえ)が小さく花を付けているのがあって、桜の逞しさも感じました。案の定、道路は渋滞。電車とバスで来た恩恵なのか、のんびり花見ができました。

2024-04-01

「時間はまだある」

 < 習作 24.1 デジタル 2024-03-22 >

国連開発計画のPR動画をみました。気象予報士役の子供達が、天気予報のように2050年の気象ニュースを報じていました。気候変動対策を十分しなければ26年後には熱波の影響で94%の子供が外で遊べなくなると。子どもが自らの未来にそういう予報を出しているのが強烈でした。「これは単なる天気予報ではなく わたしたちの未来です」、「予報を変える時間はまだある」が響きます。

誰もが今の状況を分かり始めていると思います。しかし個人レベルでは何をどうしたらこの「予報」を止めて、いいほうに変えられるか よく分かりません。各国の利害の調整が出来ず 時間切れになってしまわなければいいのですが。
  

2024-03-01

犠牲者に寄り添う

< 「食べ物を」 デジタル 2024-02-23 >

数日前の安全保障理事会でガザ停戦決議案を拒否権によって否決したアメリカにはガッカリです。ユダヤ系アメリカ人の政治的圧力の強さは聞いたことがあります。イスラエルはなぜガザの一般市民をここまで犠牲にして戦闘を進めるのでしょうか。

犠牲者といえば 本や映画で知った、ナチによって苦難を強いられた人たちが思い出されます。ゲットーで不自由な生活を強いられ、さらに理不尽にも強制収容所で命を奪われたおびただしい数の人達です。すでに80数年経ちますが その子孫にとってガザの犠牲者に少しばかり寄り添うことは不可能なのでしょうか。ニュースを見ていてそんな思いがします。(2.23)

2024-02-01

バベルの塔

< 習作24.1 「(大)バベルの塔」より デジタル 2024-01-24 >

ウクライナやガザでの戦闘が依然と続いている上に、新年早々 身近に起こった大地震や航空機事故のニュースもあって、この先なにが起こるんだろうと不安な気持ちになりました。世界の二極化、地球温暖化、AIによる混乱の兆しなど、混沌の霧はさらに濃くなるような 2024年のスタートです。

ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」を思い出しました。旧約聖書 [創世記]の物語をもとに16世紀ブラバント(現オランダ)の状況を背景に描かれたものだそうです。旧約聖書には『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。恐れを知らぬ人間の増長が、主の怒りを買い 言葉を乱され各地に散らばっていった、とあります。スケッチしていて「バベルの塔」が 世界の状況を象徴しているような気がしました。人間は自分達が作ってきた社会を十分管理できるのだろうか、そんな疑問が湧いてきます。「世界終末時計」は残り90秒、自惚れなしに”イエス”と答えられるといいのですが。

2024-01-01

思い出すこと

< 「帰り道」 水彩 はがき 1967.07.02 >
  
新年おめでとうございます。みなさんにとって良き一年でありますように。

暮れは アイデアがまとまらず 昔描いたスケッチを載せました。絵葉書にしたのに出さずじまいになっていたものです。何か思い出があって捨てずにいたのでしょう。 友人を訪ねた帰り道、仙石線・福田町駅で電車を待つ間に見た光景のはずで、寮に戻ってから描いたのだと思います。何かに感じスケッチする、多感で活動的だった昔を懐かしく思い出しました。

そのころの週刊新潮の表紙を飾っていた谷内六郎の絵を思い出します。東京五輪、新幹線、東名高速道路。華やかな時代の幕開けと対照的に、心の故郷を描く彼の絵が蘇ります。さて今の時代は50年後にどう見えるのでしょうか。