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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2024-02-01

バベルの塔

< 習作24.1 「(大)バベルの塔」より デジタル 2024-01-24 >

ウクライナやガザでの戦闘が依然と続いている上に、新年早々 身近に起こった大地震や航空機事故のニュースもあって、この先なにが起こるんだろうと不安な気持ちになりました。世界の二極化、地球温暖化、AIによる混乱の兆しなど、混沌の霧はさらに濃くなるような 2024年のスタートです。

ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」を思い出しました。旧約聖書 [創世記]の物語をもとに16世紀ブラバント(現オランダ)の状況を背景に描かれたものだそうです。旧約聖書には『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。恐れを知らぬ人間の増長が、主の怒りを買い 言葉を乱され各地に散らばっていった、とあります。スケッチしていて「バベルの塔」が 世界の状況を象徴しているような気がしました。人間は自分達が作ってきた社会を十分管理できるのだろうか、そんな疑問が湧いてきます。「世界終末時計」は残り90秒、自惚れなしに”イエス”と答えられるといいのですが。

1 件のコメント:

MIZUNO さんのコメント...

ブリューゲルの油絵「バベルの塔」を見ると、いきいきと働いている人々、滑車やクレーンなどの機械、石切や煉瓦を準備している姿、住居や作業小屋、港や船など当時の社会の縮図を見事に表現している。ここにはヘブライ(旧約)聖書にある神を表現するものはなく、その怒りを示すものはどこにもない。ちなみにこのデジタル絵画を白黒反転させると、明るい建設現場の雰囲気をより強く感じることができる。暗さはどこにも見られない。//ヘブライ聖書では主が人々の行為に怒り、バベルの塔を破壊し言葉も住むところもバラバラにしてしまったと言う。果たして主の怒りの本当のところは何だろう?神に近づこうとするのは罪だろうか?//イスラエル首相のネタニアフはヘブライ語で「ヤハウェ(神)が与えたもうた」という意味と聞いた。まさか主がパレスチナ人を殺せとは言っていないはず。神の怒りの本質は、力を過信し利己主義で自分以外を認めることができなくなった人間への戒めではないだろうか?無辜の民を傷つけるイスラエルの暴挙はイスラエルにしか止められない。ウクライナへの侵攻はロシアにしか止められない。//神によって世界中でバラバラにされた言葉は、AIの発達でその障壁はどんどん低くなっている。しかしその便利さ(うわべの外交の力)だけでは平和は実現できない。人間は3人集まるといじめが始まると言う。力を誇示したいと言う欲望を全ての人から消すのは不可能ということの例えだ。//国連が国際紛争調整で機能不全に陥っているのは、力の誇示の象徴である拒否権を存続させていること。この一つをとっても「際限のない欲望への自制」を自覚することの大切さは理解できる。//イスラエルの多くの市民、ロシアの多くの市民に悲劇の実態はどの程度伝わっているのだろうか。(M)