プロフィール

自分の写真
名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2011-09-14

薄暮月

  諏訪に足をのばした帰り、電車が茅野を過ぎた辺りだったか、右の車窓から月が見えるのに気がついた。12日の満月まで間があるので、左が少し欠けた月だった。列車がカーブするたびに前に出たり後ろに引っ込んだりした。近くの丘に隠れたり遠くの山の上に登ったりもして、退屈な車中の時間を紛らわせてくれた。17時半を過ぎていたが空は明るさを残していた。薄っすらと白っぽい月だったが、澄んで乾いた空気のせいかよく見えた。南アルプスの山稜は赤紫に沈みはじめ、覆い被さってくるような威圧感を持ちながらゆっくりと後ろに動いていく。しばらくすると、前方にほんのり夕焼け色に染まった富士山が登場して雰囲気を盛り上げてくれた。ドラマでいうと、そろそろクライマックスといった感じだ。小淵沢で列車は止まった。さっきの光景をスチル写真で見れるかと期待したが、残念ながら車窓からは近くの建物ばかりが見え、さっきまでの車窓ドラマは小休止といったところだった。(スケッチは時間を少し進めて満月にしました)



 

高島城


  車から諏訪湖と街を眺めながら通り過ぎたことはあったが、街に降り立ったのは初めてだ。上諏訪駅から湖のある南西に向かって歩きだした。城が近くにあると聞いていたがどこにもそれらしい高い建物は見えない。きちんと調べてくるべきだったかなと思いながらケヤキ並木の落ち着いた商店街を歩いた。平日のせいか人影はまばらだった。やっとすれ違った地元の人らしい女性に訊ねてみた。「この道に沿ってすぐですよ」。少し安心したせいかお腹が空いてきた。途中、小さな橋を渡ったところに丸高味噌・醤油と書いた看板を出した店があったので中に入ると、「味噌の食事」ができるようになっていた。といっても味噌はタレや味噌汁で味わうだけで、ちゃんとメインは別にある。注文したのはヒレカツ定食、タレはもちろん丸高味噌だ。

  食事の後、さらに先に歩くと、突然といった感じで、右手にお城が現れた。三層の天守閣ということもあって威圧感は少しもなく、親しみのある感じがする城だ。今のは41年前に再建されたものだそうだが、これが徳川270年を通しこの地を治めた諏訪氏の雰囲気なのかもしれないと思った。冠木橋(かぶきばし)を渡って本丸内に入ると山水の庭園があり、木々が涼しそうな日陰を落としていた。今日はちょっと楽をして木陰のスケッチをしてみよう。
 

2011-08-29

夏の休養


3周期目の猛暑が過ぎて、暑さも少し衰えかけた感じがする今年の夏だが、去年のことがあるのでまだ安心は出来ない。庭のバラは頑張って暑さを乗り越えたが、ここにきて付ける花は小ぶりになっている。少し遅くれたかもしれないが、夏剪定で蕾や枝をバッサリと切ってみた。これから1ヶ月は夏バテ休養期間だ。10月にはまた見事な花と香りを楽しませてくれるだろう。

心配されていた電力需要は家庭や企業の対応があって、このままだとなんとかなりそうだ。東電は火力発電で需要を賄っているが、コスト上昇分を電気料金の10%アップでカバーしたいといいだした。原発再開へのプレッシャーのように聞こえるが、この段になって値上げも原発再開も急ぐ必要はあるのだろうか。福島第一原発が撒き散らした放射性物質が、検査を必要とするだけでも16都県に及んでいる。東電と国は加害者としての重大性をこれら住民に真摯に詫び、これからの安全について十分説明をしたのだろうか。
 

2011-07-20

放射能汚染


5月の終わりに数日滞在した喜多方でも、放射性セシウムに汚染された肉牛が出荷されていたそうだ。野外に置かれていた稲わらを原発事故後に餌として与えていたためという。福島第1原発の水素爆発で放射性物質が大飛散したときから分かっていたことだし、打つ手もあったのに徹底されてこなかったのにはがっかりする。農水大臣が厳しい表情で謝っただけで済むんだろうか。

3月下旬、東京近辺の浄水場で基準を超える放射性物質が検出され大騒ぎになったし、5月には群馬県の牧草から、その後も神奈川県の足柄茶からも見つかり出荷できなくなった。そして今回の汚染肉牛だ。確実に日本に住むわれわれの中に入り込んでいるような気がしてならない。

それにしても対応がいつも後手後手で、もぐら叩きをしてるようだ。それほどわれわれは原発(放射性物質)を楽観的に考えていたのか、それとも本当に打つ手がないような際どい技術を目をつむったまま使っていたのだろうか。今日何事もなければ明日もまた何事もないだろうという気持ちでいたのは確かだが、それを助長させていたのは半世紀にわたる国の政策であったのも確かだと思う。

  

2011-07-16

夏に思うこと

朝食が終わるとテラスの椅子に座って新聞を読むのが最近の日課になっている。日除けの陰にいるのだが、青空や、陽が当たる植栽や家の壁から熱線が体の一方にじわっと伝わってくる。が、風も時折ながれてきて絶妙の心地をくれる。7月9日の梅雨明け以降、抜けるような青空が続く。陽が高くなってくると決まって南西の風が吹き出し自然の扇風機になる。

こういう季節に父の田舎に連れて行ってもらったことを思い出す。ずいぶん昔のことだ。駅から一面の水田を貫いて流れる疎水に沿って歩いた。藻をくねらせて流れる澄んだ水が暗くて冷たく見えた。稲田を海の波のように流れてきたヒンヤリした風が、稲の香を残して吹きすぎていった。家に着くと決まって井戸で冷やしてあったスイカがでた。従弟同士が縁側に並んでスイカにかぶりつき、種を庭めがけて吹きだしあった。いつの間にか飛ばしっこの競争になった。。。

いま住んでいる辺りは南北に襞状の丘が幾筋かあって、降った雨がその間に染み出してきて川筋を作っている。一時は酷く汚れたことがあったが今は澄んだ流れにもどっている。その川が大雨で溢れた話は一度も聞いていないが、護岸はコンクリートに変わってきていて、土のまま残っているのは毎年狭まってきてる。それが、カワセミの撮影スポットが移動するのでよくわかる。来年は残っているのだろうか。