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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2023-09-01

20余年の人生

< ツバキ遊び F30 油彩 2023.08.29 >


いちど行ってみたいと前から思っていた、長野県上田市にある無言館(戦没画学生慰霊美術館)を訪ねました。セミが鳴く 雑木林の丘にひっそりと佇む コンクリート作りの小さい美術館でした。絵の具が剥がれたものや 未完と思われる絵もあり、80年ほど前の 画学生が生きた時代の状況が伝わってきました。故郷の風景、家族や妻をモデルにしたものもあり、本当のことは分らないものの、愛する人たちを残し戦地で命を落とすことになった画学生を思うと、残された絵に 作者の20余年の人生が深く投影されているようでした。街の美術展を見るのとは違った機会になりました。

4月のデジタル ペイント版のスケッチ(同題名)をもとに油絵具で描きました。まだ寒かった3月の光景を、ことのほか暑かった8月に描くのは 気持ちの上でつらかったです。ともあれ 描き終わったときには、猛暑が陰り始めていました。

1 件のコメント:

Mizuno さんのコメント...

4月の女の子が9月にはふっくらと成長したように見える。デジタル絵画と油彩の違いというより、子供の成長の早さを見るようで実に面白い。

無言館について一言。3年ほど前にNHKの日曜美術館で取り上げられた。窪島誠一郎さんが1995年頃にこの美術館を作ることを決意した言葉が印象に残っている。「絵描きは絵が残っている間はまだ死んでいない。戦後50年、間に合うんだったら集めよう」まさに命の尊さを形にする言葉だった。無言館の絵を修復している山領まりさんの言葉も素敵だった。「ひび割れたり剥落しそうな絵の具を元のように補正修復するよりも、その状態をきちんと維持し後に伝られるようにしたい」と。絵の潜り抜けた時間、そして画家をめぐる様々な人間模様を絵の状態から思い起こして欲しいという思いだったのだろう。人生いろいろというけれど「特別な人生」や「普通の人生」などで括れるようなものはありえない。それぞれの人が「かけがいのない自分自身の人生」を持っている。祖国という大義をかかげ、大切な「人生の尊厳』を犠牲にさせた戦争の理不尽さを強く思う。
寺山修司の短歌「マッチ擦る つかの間海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」 これは戦後10年以上経った頃の歌だ。今日本は見違えるほど豊かになったが、戦争の実感のない国のリーダーたちは、この国をどのように作ろうとしているのだろうか?(M)