プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2022-03-23

ただ祈るだけ

 < 習作22.5 デジタル 2022-03-22 >

侵攻を続ける兵士の顔はぼやけて見えて来ません。のっぺらぼうで意思を失くしたように見えます。怖いことです。見えてくるのは虐げられる一般の市民の顔、言葉無き子供たちの苦痛の表情です。一月まえには想像できない 悲惨な状況を伝える映像を見るたび 心が痛みます。


2 件のコメント:

おおこうち さんのコメント...

いま我々にできることは、ウクライナに寄付ぐらいだけど、そのお金が武器調達に使われるのもいやなんで、どこに寄付したらいいのか、迷う。しかし、今回はっきりしたのは戦争開始の理由なんてどうにでもなるということ // 名古屋では中高生の「戦争反対」のデモがあったとか。東京でもロシア大使館前で高校生が「戦争反対」の声を上げたとか。かつて旧日本軍でほとんど同じようなことをして、周辺諸国に迷惑をかけた歴史を持つ我が国は、どんな理由があろうとも戦争を<始める>国にはなってほしくない。若い人が戦争を考え始めたのは頼もしい // いま話題になっている『敵基地攻撃能力』や『核共有論』なんてのはその危険を増大させるだけで、論外だと思うのだけどなぁ。一部の政治家などがこの時とばかり、元気に声を大きくしているのは心配だ。火事場泥棒だな。

kazros さんのコメント...

おおこうちさんへ。同感です。ロシアの侵攻を見て、強大な武力が国を独り善がりにすることがよく分かった。戦後の民主主義社会で育った目にはロシアの理不尽さが強烈に映る。武力を裏付けにして、自国に都合のよいルールを他国に押し付け正義ずらしている。「勝てば将軍」がまかり通る現実が21世紀にも続いているとは。
北でロシアと接する日本としてはどうすべきか。今度のウクライナを見て考えさせられることが多い。攻撃されても打つ手がないのも困るし、アメリカの陰に隠れてばかりもおれない。自衛の武力は必要だろう。ではどこまでの武力? 線引きは? 武力の種類や性能というより、その行使を正しくコントロールできる体制が前提のような気がする。統制(コントロール)できない武力や武力集団を保持はしてはいけない。