プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2011-08-29

夏の休養


3周期目の猛暑が過ぎて、暑さも少し衰えかけた感じがする今年の夏だが、去年のことがあるのでまだ安心は出来ない。庭のバラは頑張って暑さを乗り越えたが、ここにきて付ける花は小ぶりになっている。少し遅くれたかもしれないが、夏剪定で蕾や枝をバッサリと切ってみた。これから1ヶ月は夏バテ休養期間だ。10月にはまた見事な花と香りを楽しませてくれるだろう。

心配されていた電力需要は家庭や企業の対応があって、このままだとなんとかなりそうだ。東電は火力発電で需要を賄っているが、コスト上昇分を電気料金の10%アップでカバーしたいといいだした。原発再開へのプレッシャーのように聞こえるが、この段になって値上げも原発再開も急ぐ必要はあるのだろうか。福島第一原発が撒き散らした放射性物質が、検査を必要とするだけでも16都県に及んでいる。東電と国は加害者としての重大性をこれら住民に真摯に詫び、これからの安全について十分説明をしたのだろうか。
 

2011-07-20

放射能汚染


5月の終わりに数日滞在した喜多方でも、放射性セシウムに汚染された肉牛が出荷されていたそうだ。野外に置かれていた稲わらを原発事故後に餌として与えていたためという。福島第1原発の水素爆発で放射性物質が大飛散したときから分かっていたことだし、打つ手もあったのに徹底されてこなかったのにはがっかりする。農水大臣が厳しい表情で謝っただけで済むんだろうか。

3月下旬、東京近辺の浄水場で基準を超える放射性物質が検出され大騒ぎになったし、5月には群馬県の牧草から、その後も神奈川県の足柄茶からも見つかり出荷できなくなった。そして今回の汚染肉牛だ。確実に日本に住むわれわれの中に入り込んでいるような気がしてならない。

それにしても対応がいつも後手後手で、もぐら叩きをしてるようだ。それほどわれわれは原発(放射性物質)を楽観的に考えていたのか、それとも本当に打つ手がないような際どい技術を目をつむったまま使っていたのだろうか。今日何事もなければ明日もまた何事もないだろうという気持ちでいたのは確かだが、それを助長させていたのは半世紀にわたる国の政策であったのも確かだと思う。

  

2011-07-16

夏に思うこと

朝食が終わるとテラスの椅子に座って新聞を読むのが最近の日課になっている。日除けの陰にいるのだが、青空や、陽が当たる植栽や家の壁から熱線が体の一方にじわっと伝わってくる。が、風も時折ながれてきて絶妙の心地をくれる。7月9日の梅雨明け以降、抜けるような青空が続く。陽が高くなってくると決まって南西の風が吹き出し自然の扇風機になる。

こういう季節に父の田舎に連れて行ってもらったことを思い出す。ずいぶん昔のことだ。駅から一面の水田を貫いて流れる疎水に沿って歩いた。藻をくねらせて流れる澄んだ水が暗くて冷たく見えた。稲田を海の波のように流れてきたヒンヤリした風が、稲の香を残して吹きすぎていった。家に着くと決まって井戸で冷やしてあったスイカがでた。従弟同士が縁側に並んでスイカにかぶりつき、種を庭めがけて吹きだしあった。いつの間にか飛ばしっこの競争になった。。。

いま住んでいる辺りは南北に襞状の丘が幾筋かあって、降った雨がその間に染み出してきて川筋を作っている。一時は酷く汚れたことがあったが今は澄んだ流れにもどっている。その川が大雨で溢れた話は一度も聞いていないが、護岸はコンクリートに変わってきていて、土のまま残っているのは毎年狭まってきてる。それが、カワセミの撮影スポットが移動するのでよくわかる。来年は残っているのだろうか。

 

2011-06-14

碁石海岸

いつの頃のだったかな。1965年4月とあるからずいぶん前のだ。。。 友人と三陸海岸伝いにスケッチ旅行をしたときのものだった。碁石海岸は、陸前高田と大船渡の間にある小さな半島の先端にある岩畳の海岸であることが、地図で確かめやっと分かった。そこの海岸のどこかで描いたのだろう。

前の晩は気仙沼に泊まった。古い旅館の、二階の大広間のようなところで寝させてもらった記憶がある。突然現れた貧乏学生に同情してくれたのかもしれないが、気さくな女将との宿賃交渉がまとまって、駅のベンチで寝るのを免れたような気がする、が実のところはっきりしない。

ほとんどぼやけてしまった記憶だったが、この時の絵を見ていると、今度の大津波の直撃を被ったこの辺りのことが気になる。やはりこの時期に行って一度目にしておきたい。



2011-05-31

久しぶりの会津

鹿沼の市街で小休止したあと喜多方に向かった。白河に近づくと所々で道路補修をやっていた。3月以降の地震で路面が波打ったようになってしまったためのようだ。とくに橋梁部と土盛り部分との境目に段差ができしまい、前輪が通過するとガクンと衝撃が伝わってくる。震源に近い浜通りや仙台の方ではもっとひどいのだろうか。僅かだが今度の地震の傷跡を実際に目にすることになった。郡山から一般道に下りて喜多方に向かったが、幸いにも道路には目に見えた痕跡はなかった。

サイクリングロードとして整備されている押切川の土手を散歩するのは気持ちが良い。川原の茂みから吹き上がってくる風には新緑の匂いが含まれていた。自然に根付いたのだろうか、ニセアカシアが白い花をつけていて、甘い香りを放っていた。お目当ての飯豊(いいで)のたおやかな峰は、雲の向こうに隠れ見えなかった。反対側の雄国(おぐに)の峰は、頂上付近が少し雲に覆われていたものの、緩やかな山裾が終わった辺りには、田植えが済んだ水田が雲の隙間から落ちるわずかな陽光を受けて広がっていた。2年間も来ていなかった気がしない。