小学3年か4年の子どもたちが元気に遊んでいました。ときどき私の後ろに回って絵を覗きこんだりしていました。「今日は遠足?」。「ピクニック、うん遠足ともいいます」。近くにアメリカンスクールがあるのでそこの子どもたちだと分かりました。先生がみんなを集め何か話していると思ったら、ハッピーバースデーの歌が聞こえてきました。しばらくして引き上げていくと、広場が急に静かになりました。
ここは霧笛橋の下です。大佛次郎記念館と神奈川近代文学館をつなぐ、ちょっと贅沢な連絡橋です。港の見える丘公園のすぐ南にありますが閑静な場所です。港までは距離があるのでここで霧笛を鳴らしたとは思えません。確かめてはいませんが、大佛次郎の明治の横浜を舞台にした小説「霧笛」から取ったのでしょう。そういえば向こうに見える記念館の喫茶室もたしか「霧笛」でしたか。
1 件のコメント:
おお、山手ね。何を隠そう隣の根岸に4年近く住んでました。1970年代。立派な(?)企業戦士時代なんで、土日も働いていましたから、歩いていけそうな三渓園や、山手の街並みなどほとんどなじみがありません。休みが取れた時には、横浜のデパート専門でした。今考えると惜しいことをしました。今回、ちょっと大胆な構図?
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