プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2019-04-01

御茶ノ水の小さなカフェ


< 読書 油彩 P10 2019.3 >

早くも4月。1週間前にソメイヨシノの開花宣言があったのに、その後の真冬並みの寒さのせいで足踏み。この辺りの満開はやはり4月に入ってからのようです。やはり年度の替わり目に咲く花なのでしょうか。

卒業や異動なんかで味わう別れの気持ちはほとんど忘れかけていましたが、先月、わが身に起こりました。本当に久しぶりです。8年前からしばしば利用してきた、御茶ノ水にあった小さなカフェが閉店しました。仲間が集まるときは便利な場所でした。東京周辺に散らばる仲間にはちょうど良い距離だったし、小さいながらも大抵は空いていてゆっくりできたから。金箔、ミニ屏風、書、粘土、絵、装丁の仕方などを聞いたり、実際に作ったりして楽しく勉強させてもらった、さながら教室でした。また何回か 水彩画、思い出の版画、油絵などを展示させてもらったことも忘れられない。展示中は店のHさんが面倒を見てくれたおかげで、カフェに張り付かなくてもよかったのは大助かりでした。そんな場所だっただけに無くなったのは寂しい。
  

2019-03-01

記憶の中の夕焼け

< エゾ駒の記憶 F6 油彩 2019.02 >

まだ寒いのと スギ花粉が飛び始めるこの時期、どうしても室内で描くことになってしまいます。今回のは、学生のころ制作した版画を油彩に描き直したものです。

夏、北海道を旅した帰りに見たエゾ駒ヶ岳(たぶん正式には北海道駒ヶ岳)です。夜の青函連絡船に乗ろうと函館に向かう車窓から見たもので、山全体が夕焼けに包まれて強烈な印象として残りました。大地が天空を映しているか、天空が大地を映しているのか、、近ごろこんな夕焼けにお目にかかれません。元になった版画も下に掲載しました。


< エゾ駒 木版画 3色刷 62x40cm >
  

2019-02-01

下田の浜辺

< 浜辺にて 油彩 P10 2019.1 >

松林越しに日の出が見えました。鈍いドーン、ドーンという音が聞こえてきて、打ち寄せる波は高そうでした。陽が登りきってから浜辺に出てみましたが、波は撫でるように穏やかで不思議でした。2時間ぐらいのうちに凪ぎになったのか? 日の出頃の静寂さのせいだったのか? それとも夢見心地だったのか? 理由はともあれ穏やかな浜辺でよかったです。

下田では道路脇の田んぼに菜の花が咲いていました。水仙祭りのポスターも目に入りましたが、まだ1月、吹く風は冷たい。南の地に来たんだから春を先取りするのも悪くないと思う反面、どこか裏切られる気持ちもありました。けっきょくポスターを見ただけで終わり、その分ゆっくりできました。

伊豆の海岸は溶岩性の黒っぽい岩ばかりですが、下田の周辺には、ここ弓ヶ浜をはじめ白い砂浜が点在しています。明るい海の向こうに伊豆七島の島影が良く見えました。三宅島は海に沈んでいるようで頭をすこし覗かせるだけ。八丈島はさすが遠くて全く分かりません。地球が球体である証を見るようでした。
  

2019-01-01

雲でも富士山

< 富士雲 SM 2018.12 >

新年おめでとうございます
健康で穏やかな2019年でありますように

昨年11月、関西までドライブしました。時折強い雨が降る日でしたが、車なので不都合なく目的地に着けました。途中、低山が連なるところで 雨の残り雲が盛り上がっているのが見えました。形から直ぐ富士山を思い浮かべたのですが、ここで富士山が見えるはずはないとも分かっていました。それでもやはり富士山に見えてしまうのです。不思議な数分間でした。その時の感覚を温めているうちに今度のスケッチになりました。

子供のころから富士山には強い憧憬を持っています。いま住んでいる所からは日常的に見えるのに 見飽きません。たぶん 頭の中に 錐形 ~ 富士山の回路ができてしまっているのでしょう。しかし、もし 間違ったものを正しいと思い込んでしまったら怖いなぁ、と描きながら思いました。

また1年、このブログにお付き合いください。
  

2018-12-01

150年の長さ


< 山の辺の道 F6 2018.11 > 
 
 明治維新が1868年。それから今年で150年。比べ方によって近かったり遠かったり感じる時間です。国が形作られた時代と比べると昨日のようだし、それから大きな戦争が3回もあったと考えると遠い昔に思われます。

先月、奈良の山の辺の道を1/4ほど歩く機会がありました。歴史ある寺社や集落、数多くの古墳が散在する地域です。石上神宮(いそのかみじんぐう)から南へ少し歩いたところに内山永久寺跡がありました。かつては多くの伽藍があり、西の日光といわれるほどの大寺院だったそうです。しかし明治の廃仏毀釈に遭い廃寺になってしまいました。

少し高くなった休憩所からに見下ろすと、かつての寺域は農地に変わって跡形もありません。唯一本堂池が残るのみでした。池端に「うち山やとざましらずの花ざかり」と刻まれた芭蕉の句碑がありました。圧倒的な変貌に150年の長さを感じます。