プロフィール

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名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2013-07-25

休漁日の腰越漁港

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  油絵に切り替えてちょうど2年経ちました。野外ではもっぱらスケッチブックに描いてきましたが、イーゼルを現場に持ちだしキャンバスに直接描くのは今度が初めてです。3、4時間である程度描き上げる自信がなかったし、道具を携行するのが大変だという気持ちがあったからです。八尾から来てくれた友人に背中を押され、一緒に野外スケッチに出かけることになりました。

  江ノ島の東隣は腰越で小さな漁港があります。車を漁協の駐車場に止め、江ノ島が見える写生スポットを探しました。予想通り、すでにスケッチブックを広げた人たちがちらほら。その近くにいい場所が見つかりました。梅雨に入っていましたが雨の心配はなく、雲間に明かりも見えてまずまずの日和でした。

  スケッチがまとまったころ昼になったので、道路の向かい側にある釣り船屋で腹ごしらえ。2階の食堂は若い女性達の話し声で賑やかでした。目当ては生シラスかなと思いながらわれわれも注文すると、あいにく今日は休漁日で、茹でたものしかありませんでした、、 道理でスロープに
漁船が整然と並んでいたわけです。

2013-06-25

ジュラシックパーク

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  先月、オーストラリアに行って来ました。ブリスベンの北70Kmほどのところに変わった山があります。広大な丘陵地に何本かの巨大なタケノコが頭をもたげたような形です。観光ガイドには「形が似ていることからキャプテン・クックがグラス・ハウス・マウンテンズと名付けた」となっています。なるほど、遠くから見れば温室に見えなくはない形をしています。

  その山群の北にある小高い山稜に建つレストランから眺めました。一面に広がる分厚い緑のなかに薄紫色のグラス・ハウス・マウンテンズが浮かんでいました。200年前に入って来た開拓者たちには新世界に映ったと思いますが、わたしの頭には映画のジュラシックパークが浮かんで、なかなか愉快な気分になりました。隅のテーブルで絵を描いている人がいました。見せてもらうと、青い空気に満ちた神話の世界に浮かぶ山になっていました。
  

2013-05-30

サン・サルヴァトーレ山

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   前回と同じスイス南部の、かつて小農家だったところに泊まったとき描いたスケッチからの油絵です。3階建てなのですが屋根裏を部屋にした4階に泊めてもらいました。そんなわけで天井が傾斜していて部屋の半分ほどは屈まないと頭をぶつけてしまいます。梁に気をつけながら南側に開いた明かり取りの窓辺に寄ると、サン・サルヴァトーレの山(州都であるルガーノの街と湖が見下ろせる小高い山)までよく見渡せました。たぶんこの家で一番見晴らしのいい部屋のようで、主のちょっとした心遣いが分かって嬉しくなりました。
  

2013-04-29

窓からの景色

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  朝、目覚めた時にいつもと違うところにいる自分に気づくこと、旅行に出たときにしばしば持つ感覚です。急いでいないなら 旅情を楽しめる一時で 好きです。「さて、どんな一日になるのだろうか」、と背伸びをしながら窓の外を眺めたくなります。

  この絵は10年ほど前のスケッチブックにあった一枚を最近油絵にしたものです。ずいぶん前ですが、スイス南部のイタリア語を話す地方で泊まったときのものです。200年近く経つ古い家で、しかも農家だったとかで、確かに1階の裏側には家畜を飼っていたという薄暗い部屋が残っていたのを憶えています。小さな窓からの景色は、大部分が周りの家々の錆びたような色の屋根でしたが、古いながら統一があって、落ち着いた雰囲気でした。窓のガラスも古いらしく、適当に景色が歪んで見えました。

  もうゴールデンウィーク。こういう気分をまた味わいたくなる季節になって来ました。
 

2013-04-02

時の厚み

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  今度の一枚はメムノンの巨像です。何年か前ですが、王家の谷からルクソールに戻る途中に寄りました。ナイル川の西岸、川から滲みだした水が作る 緑のベルトが果てる辺りにありました。後ろは砂漠へと続く山です。エジプトでは数千年も経つ建造物ばかりを見て回ったのに、経過した時間の長さがなかなかピント来ませんでした。しかし、傷みが激しいこのアメンホテプ3世の像を目にした時は、少し肌で感じたような気になりました。

  まともに残っているのは僅か、全体にひびが入って顔もわかりません。それなのに、まだ生きていて、何か話しかけてくるように見えました。後方に見えるのは、昔、王家の墓を盗掘するのを仕事にしていた人々の末裔が住んでいる村だと、ガイドが話していました。村の人には会っていませんが、たぶんすごく生活力のある人々だろうと、土産物を売る人たちの顔と交錯して浮かんできました。乾燥した空気、雲ひとつない青空、岩を砂に変えてしまうような強烈な日差し。その中で逞しくつながれてきた人々の営みをこの巨像が象徴しているようでした。