プロフィール

自分の写真
名古屋生まれの名古屋育ち。絵との付き合いは、油絵を始めた高校時代。仙台にいた頃は友人と木版画に熱中。社会人になって遠ざかったものの、退職を期に再スタート。水彩、油絵と、もと来た道を楽しみながら続けています。

2020-05-01

一時 コロナを忘れて

< 軍港のある風景(横須賀・塚山公園) M8 2020.3.24 >

息を切らしながら登ってきました。公園直前の急な坂道は、絵の道具があったので、体を前屈みにしないと下に押し戻されそうでした。「草枕」の「山路を登りながら、こう考えた。」のような悠長にはいかず、まだかまだかの10分でした。公園の東側は 海に向かって開け、米軍や自衛隊が使う港が見下ろせました。駅から歩いてきた道が、住宅の中に散在する特徴のある建物を目安に 辿れました。帰りは楽そうだ。

描いていると賑やかな声がして、元気な4、5人の幼児に囲まれました。「見て良いですか?」。訊いてみると少し前に卒園し、今日はお別れ会で来たそうです。「どうして描くのですか?」。丁寧な言葉ながら 私になれてきた様子。「好きだからかな」。「この絵 売るのですか?」の質問に、えっ、つい視線がキャンバスから子供に移ってしまいました。

コロナ感染を警戒しはじめて2ヶ月、この間 関心が内向きになったのを感じます。これが高じるとマスクの買い占めに走る心理にるのかなと苦笑。この日はコロナを忘れる1日になりました。
  

2020-04-01

誰のせいでもないよね

< 2020-コロナ 2020.3.29 デジタル >

どこかで好転するのじゃないか、そんな気持ちが正直ありました。しかし1ヵ月の間に考えが甘かったことを知らされました。世界中でどんどん感染者数が増えるのは まるで悪夢です。久しぶりに孫たちに会えるはずだったのが、あっさり消えてしまいました。その気持ちが現れたわけでもないですが、今回のスケッチは暗くなってしまった。何か記憶しておかなくてはと思ったのです。

16世紀のフランドルの画家、ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」が心のどこかにあったのは確かです。創世記のある話がテーマになっているらしいですが分かりません。しかし、このコロナウィルスのパンデミックは、グローバルエコノミーが生み出した副産物のような気がしてなりません。世界的な経済活動と、それに伴う人々の動きが感染を拡大させたからです。グローバリズムの元祖アメリカがウィルス発生地の中国に、初動対応の失敗が原因だったと非難するのはおかしいですね。そんなことより、一致団結してこの状況を少しでも早くコントロールモードにしなくては。特効薬は不要不急の外出自粛しかなさそうです。
   

2020-03-01

今はどういう状態?

< 少年 F6 2020.2.26 >

ダイヤモンド・プリンセスを日本の機関は安全な隔離施設と考えていたようで、所定期間が過ぎたとして陰性の人たちを下船させ帰宅させました。公共交通機関も自由に使って。この点は他の国とは考え方が違っていたようです。その後 下船し帰宅した人たちから感染が見つかっているのは非常に残念です。さらに今度は 感染拡大を防止しようと、大勢の人が集まりそうなイベントの取りやめや 小中高の休校を要請しています。一体どうなってるの? 現況の説明がないと不安だけ掻き立てられます。

4月に孫が訪ねて来るので、そのとき見せようと昨夏からの絵を仕上げました。好きなことに夢中になる 少年の一途さが気に入りました。しかし この新型ウィルスの拡散。政府がこんなふうに対策を突然打ち出してくると、本当に来れるかどうか分からなくなってきます。
  

2020-02-01

整理で見えてくる

< 無題 A4 by procreate 2020.1.30 >

ひと月前には全く耳にしなかった新型コロナウィルスが世界的に広がり、連日のトップニュース。まさに「一寸先は闇」というか、何が起こるか分からない。一日も早く終息が見えてくるのを願うばかりです。

デジタルカメラが席巻してもう20年ほど経ちますが、わが家ではこれまでのプリント写真のアルバムと、パソコンに入ったままになっているデジタル写真の整理、統合作業が佳境に入っています。プリント写真のアルバムへ一本化です。これまで3段の棚に無造作に詰め込まれていたアルバムを、1段にまとめる断捨離を兼ねています。また写真を見返したことで改めて気がついたこともありました。歴史を眺めるのに似ていますね。予想以上の時間がかかっていますが、残り数年分の写真を楽しんで整理しようと思います。
  

2020-01-01

青空に誘われて

< 歩くひと F10  2019.10.08 >

新年おめでとうございます
今年も当ブログをよろしくお願いします

空一面に雲が広がっていてハイキングには寒そうでした。それでも限られた日数の滞在なので予定通りに出発。小1時間 馬車に乗って谷の一番奥まで行き、そこから歩いて戻るというものです。これなら好きなところでスケッチできますから。歩き始めてしばらくすると雲がとれて青空になってきました。そのせいか 歩いている人をちらほら見かけるようになりました。

杖(カフクラッチ)を突きながら まっすぐ前を見つめて歩く老人の姿が目に入りました。地元の人なのかしら。残り少ない秋の日差しに誘われて散歩に出たのか、それとも何か用事でもあったのか。考えているうち、私たちはどうして歩くのか、歩くことに どんな意味があるのかになりました。いつもは 成人病対策とか、夜よく眠るためにとかで歩いたりしていますが、もっと根源的なものがあるのかもしれない。そう考えながら今度の作品を描きました。